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2011.11.12 (Sat)

小心者のワカゾー。

 「10」です。前回の続き。ふたりと一匹で松尾山を登ること50分。たくさんの白い旗が立っている頂上に着きました。

IMGP9367.jpg

 この旗印は『違い鎌』といい、戦国武将、小早川秀秋の旗印。実はこの松尾山、天下分け目の関が原の戦いで小早川秀秋が陣取った山なんです!

 ここで「それ誰?」っていう方にカンタンに説明させていただくと、豊臣秀吉の甥で、一時期は子のいない秀吉の後継者になるのではないかと目されていましたが、その後、秀吉に実子、秀頼が生まれたことにより状況が一変。今度は邪魔者扱いされ、小早川家に養子にだされた人物。

IMGP9372.jpg

 頂上にあった案内板の画像をご覧ください。青が西軍、赤が東軍、黄が小早川で西軍につき、松尾山に1万5千の大軍を率いて布陣。1600年9月15日は朝から霧がたちこめており、午前8時、霧が晴れるとともに合戦がはじまりました!

 戦況は要所を押さえ、東軍を包囲するように布陣をとった西軍が優勢。ここで秀秋が一気に山を駆け下りていけば西軍勝利は間違いありませんでした。しかし秀秋は動きません。

 実は水面下で家康から裏切るように指示されていたのです!

 そういう意味では合戦の鍵のみならず、今後の日本の歴史の鍵さえも握っていたのは家康でも三成でもなく、弱冠19歳、小心者のワカゾーでした。

 ここで家康は一世一代の大博打に出ます。どちらに味方するか迷っている小早川の陣に向けて発砲し、裏切りを促したのです!これは一歩間違えれば小早川を敵に追いやることにもなりかねませんでした。

 しかし小心者の秀秋は驚き、すぐに東軍に寝返り、西軍の大谷吉継を攻め、結果、秀秋の寝返りが東軍に勝利をもたらし、賭けに勝った家康は天下を統一するのです。

 一方、秀秋は岡山50万石の領主となりましたが、因果応報、2年後、21歳の若さで死に、後継ぎが無いため小早川家は取り潰されました。

IMGP9391.jpg

 晴天であれば松尾山山頂は東西両軍の動きがよくわかる位置にありますが合戦から411年後の11月某日、松尾山の山頂は当時のように霧がかっていてなんだかドラマチック♪

 辺りは紅葉していないのに気分が高揚しちゃった小心者のひとりと一匹がとる行動はひとつだけでした。つづく。
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